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掛軸(近世絵画)の最近のブログ記事

森 祖仙(もり そせん)「猿図」

作家略歴:

猿の毛並みの手触りまで伝わってくるように感じられる本作は、江戸期の画人・森祖仙によるものである。 六十歳頃を境に狙仙と名前を改めた事から、本作はそれより以前のものと考えられる。 祖仙といえば鹿や虎や猫など様々な動物を多く描き残しているが、その中でも猿の絵については、世に「祖仙の猿」といわれるほど優れた絵を多く描いたことで知られる。 厳島の絵馬堂に猿の絵があり、その絵馬の前に本物の猿を連れてきたら本物の猿が飛びかかって行ったという逸話が残されているほどだ。 鶏の絵で有名な伊藤若冲は鶏を庭に放し飼いにし、それを観察しながら描いたといわれるが、祖仙も同様に猿や猪を飼ったり、また山中に分け入って写生をしたといわれている。 大正六年に刊行された著書『とはずかたり』には祖仙が戸外に出した床几に立膝して往来を眺める様が、まさに猿の如しであったと、その人となりの一端を伝えている。 猿を追い、猿を描き、自らもまた猿のように感化された画家を思うとき、本作に描かれた猿の絵はまさに画家の自画像めいて感じられはしないだろうか。

田能村 竹田(たのむら ちくでん)「畳山積樹図」

作家略歴:

(1777~1835) 江戸後期の文人画家。豊後国生。名は孝憲、字は君彜、別号は九畳仙史、隋縁居士、三我主人等。医業を生業とする家系に生れたが、経学文章を学び、画を渡辺蓬島、淵野真斎に習う。各地を遊学し、江戸で谷文晁に師事する。画風は明・清風に独自の工夫を加えたもので、また絵のほかにも詩歌・書画・茶・香などにも精通し、風流文雅を好んだ。頼山陽、岡田半江と親しみ、弟子には帆足杏雨や高橋草坪がある。

鈴木 其一(すずき きいつ)「竹鶴図」

作家略歴:

(1796~1858) 江戸後期の日本画家。 名は元長、字は子淵、号をかいかい、必庵、為三堂等。 酒井抱一の付人をして画法を学んだ。 人物・草花・鳥獣を得意とし、装飾的な画風を持つ。 また、俳諧や芸能にも通じた。

廣瀬 臺山(ひろせ たいざん)「青緑山水」

作家略歴:

(1750~1813) 江戸後期の文人画家。昨州生。はじめは池大雅の有力門人で大阪文人画檀の重鎮であった福原五岳に画を学ぶ。藩士として江戸に定住後は、藩の重臣として勤める一方、谷文晁、増山雪斎ら江戸の文人たちとの交流を深め研鑽に励む。

橋本 雅邦(はしもと がほう)「秋草」

作家略歴:

(1835~1908) 日本画家。江戸生。川越藩御用絵師橋本晴園養邦の子。幼名は千太郎、のち長卿。別号に克己斎・酔月画生等。狩野勝川の門に学ぶ。フェノロサ・岡倉天心と協力、東美校初代教授となる。また日本美術院を創立、菱田春草・横山大観・下村観山・西郷孤月・川合玉堂らを育てた。のち玉堂らと二葉会を結成、画宝会を組織した。帝室技芸員。

立原 杏所 画 朝川 善庵 賛「竹画賛」

作家略歴:

立原杏所(1786~1840) 江戸後期の画家・水戸藩士。名は任、字は子遠・遠卿、通称は任太郎・甚太郎、別号に玉?舎・東軒等。画は初め僧月僊に師事、のち谷文晁門下。渡辺崋山・椿椿山らと交友。元・明画を研究し、山水・花鳥を得意とした。 朝川善庵(1781~1849) 儒者。上野の人。名は鼎、字は五鼎、号を善庵・学古塾などと称した。折衷学派の儒者片山兼山の子であるが、医家朝川黙斎の養子となり、朝川姓を名乗る。折衷学派の山本北山に学び、松浦侯・藤堂侯などの諸侯から、賓師の礼を受けた。

伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう)「鶏図」

作家略歴:

(1715~1800) 江戸中・後期の画家。京都生。名は汝釣、字は景和、別号に斗米庵・米斗翁等。初め狩野派、のち宋・元・明画や尾形光琳を研究し、独特の画風を創り出す。特に「若冲の鶏」と言われるほど 鶏の画を得意とした。写実と想像を巧に融合させた奇想の画家として曽我蕭白、長澤蘆雪らと並び称せられる。

蠣崎 波響(かきざき はきょう)「山水図」

作家略歴:

(1763~1826)江戸後期の画家。陸奥生。名は広年、字は世祐、通称は将監。初め宋紫石に学び、のち円山応挙を師とする。山水・花鳥などを能くする。

浦上 玉堂(うらがみ ぎょくどう)「孤山風月」

作家略歴:

江戸後期の文人画家。名は弼、字は君輔、玉堂は号、通称は兵右衛門、別号に穆斎。備前に生まれ岡山藩に仕える。のち琴を携えて遊歴、田能村竹田・木村蒹葭堂・谷文晁・岡田米山人と交わる。晩年は京都に定住。絵は独学であるが、自由奔放な山水画は独特の気韻を持ち、日本南画の完成を見る。文政3年歿、76才。

池 大雅 画/六如 慈周 賛「蘭石図」

作家略歴:

池大雅(いけたいが)ー画 江戸中・後期の文人画家。京都生。名は無名、字は公敏・貸成、別号に烏滸釣叟・霞樵・竹居等。画扇屋を営みながら舶載の画譜などを通して中国南宗画を独学する一方、柳沢淇園や祗園南海の教えを受け、日本画の伝統と西洋絵画の表現法をとり入れて独自性と風格に富んだ画風を形成、日本南画の祖と呼ばれた。安永5年歿、54才。 六如慈周(りくにょ じしゅう)ー賛 江戸後期の天台宗の僧。漢詩人。近江生。医者苗村介洞の子。白楼・無着菴と号する。初め天台宗武蔵明静院の学僧であったが、野村東皐に詩文を学び、のち江戸に出て宮瀬龍門に師事した。また儒者皆川淇園らと親交があった。内外の書に精通し、仏儒に兼通するが、殊に詩学で知られる。享和元年寂、65才。

長澤 蘆雪 画 皆川 淇園 賛「猛虎図」

作家略歴:

長澤 蘆雪 画(ながさわ ろせつ) 江戸後期の画家。山城国淀藩士の上杉家に生まれ、長沢家の養子となる。名は政勝・魚、字は氷計・引裾、通称は主計、別号に干洲漁者・干緝。画法を円山応挙に学び、独自の画境を開いた。奇抜な発想と大胆な画面構成で傑作が多い。寛政11年(1799)歿、45才。 皆川淇園 賛(みながわ きえん) 江戸後期の儒者。京都生。父春洞は一説に東福門院の御典医と言われる。名は愿、字は伯恭、別号に有斐斎・有斐斎等。開物学と称する独自の説を樹立し、私塾弘道館を開き多くの門人を擁す。画は初め望月玉蟾に学び、のち円山応挙・呉春・岸駒・長沢蘆雪らと交わる。文化4年(1807)歿、74才。

福田 半香(ふくだ はんこう)「雪中騎驢図」

作家略歴:

江戸後期の南画家。遠江見附生。本居宣長の門人福田真直の子。名は佶、字は吉人、通称を恭三郎、別号は暁斎・磐湖・暁夢・松蔭山房等。はじめ掛川藩の絵師村松笠斎に、のち江戸に出て匂田台嶺、渡辺崋山に画を学び、山水を能くした。元治元年歿、61才。

木村 蒹葭堂(きむら けんかどう)「米法山水図」

作家略歴:

江戸後期の文人・本草学者。大坂生。名は孔恭、字は世粛、通称坪井屋吉右衛門、別号に遜斎・巽斎等。本草学は津島桂庵・小野蘭山について究めた。珍書・奇書・書画骨董を蒐集し、文人・学者と交遊。家職の造酒業による富を背景に詩文・書画・博物学を能くする。享和2年(1802)歿、67才。