陶芸家 伊藤正 × 南画家 楠瓊州展

 伊藤正の作品は、どこか見覚えのあるような素朴な形をしていながら、同時にシャープな印象を見る者に与えます。自然にあるものをモチーフとしつつ、土を用い、人の手で再現するために、入念に計算されて造形されているからではないでしょうか。そして彼の作品のもう一つの魅力は、自ら掘り出す地元・岩手の土です。その土に含まれる様々な物質が、焼成の過程で小さな突起となって表面に現れ、ぷつぷつとした独特の質感を生み出しているのです。
 生まれ育った土地の土を用い、自らの理想とするかたちを追い続ける陶芸家・伊藤正と、生涯ひたすらに好きな絵を描き続け、色鮮やかな作品を残した南画家・楠瓊州。時代を異にする二人の作家の静かな情熱が響き合う企画展をお届けします。

「晩秋」
「Ss -10(海の雫)」2006年

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作家略年譜

陶芸家 伊藤 正いとう ただし (1952 -)

1952年 岩手県釜石市生まれ
1979年 栃木県益子町の塚本製陶所で修行
1985年 岩手県遠野市に築窯
1995年 岩手県花巻市東和町に築窯
2001年 「美の国わが故郷」展(萬鉄五郎記念美術館、岩手)に出品
2004年 「第22回朝日現代クラフト」展(大阪、横浜)招待出品
2006年 「現代陶芸の粋」展(茨城県陶芸美術館)出品
2008年 「第2回智美術館大賞 現代の茶陶-造形の自由・見立ての美」展
(菊池寛実記念 智美術館、東京)に出品、優秀賞受賞
2010年 「第3回智美術館大賞 現代の茶ー造形の自由」展(菊池寛実記念 智美術館、東京)に出品
2013年 岩手県美術選奨
2017年 「陶芸家伊藤正×南画家楠瓊州」展(加島美術)

南画家 楠 瓊州くすのき けいしゅう (1892 -1956 )

1892年 2月、広島県尾道市に呉服商・楠良右衛門と、その三番目の妻トクの間に生まれる。本名善二郎のち善次郎と改名。母トクは尾道の回船問屋・高村貞助の長女。
1895年 父母離婚(のち復縁)、母方の高村家に戻り、高村家の別荘下の借家に住む。この頃、高村家に来訪した京都の南画家江上瓊山に接し南画の手ほどきを受ける。
1902年 春、同級生との喧嘩がもとで、以後左足疾患のために若干の歩行障害をきたす。
1907年 京都の南画家服部五老(田能村直入門下)が尾道に来遊。3月、高等小学校を二年遅れて卒業する。同時に京都へ出て、服部五老の内弟子となる。
1910年 正月から母が営む船具材料・麻販売業を手伝うが、耐え切れず出奔し、京都の江上瓊山宅に寄寓する。まもなく母の努力で親類との話し合いがまとまり、尾道に帰り画家として立つ。この頃から、雅号を瓊州と称するようになる。この年、服部五老尾道に来遊。
1911年 叔父高村良介の長女ツルヨと結婚するが半年たらずで離縁する。
1915年 高村家の没落に伴い尾道での生活が苦しくなり、画家としての生活が立たなくなる。このため、服部五老・江上瓊山の助言により、北海道札幌への移住を決意する。5月、服部五老の口添えで、母トクと共に札幌の植木屋南香園若桑家に寄寓する。
1918年 6月、札幌での画家としての活動に見切りをつけ、井村常山をたより母と上京、常山の紹介で、東京都北区西ヶ原の栗田栄氏の借家に移る。この頃、瓊州の終生の後援者となる丸山良策氏と知り合う。
1926年 この頃から、水彩画の技法を加味した作品を制作し始める。
1930年 この頃から、油彩画の表現方法の研究を始める。
1935年 12月、母トク死去。
1939年 尾道の親類・知人との交際断絶を通知する。
1956年 3月24日、心臓障害のため、東京都北区西ヶ原2丁目10番地の自宅で死去。身延山に納骨される。

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展示会概要

「長春図」
「Ss -07(海の雫)」 2009年

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