WORK OF THE MONTH
2021
2020
2020.12
六曲一双屏風 紙本 着色
155×354㎝/171×370㎝
日本絵画史に写実表現をもたらした絵師・円山應挙。本作は、中国の伝統的な描写を基盤とした山景に、浮絵(眼鏡絵)の制作を通して習得した遠近法を用いた水景とを組み合わせて構成されています。古典的山水図から近代的風景画への展開を暗示するようです。観る者を画中に引き込む応挙の空間表現の真骨頂であると言えます。「大古画展―江戸時代を彩った巨匠たち―」に出品予定ですので、お見逃しなく!
円山應挙の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2020.11
紙本 安田靫彦箱書
24×43cm/123×57cm
一見サラサラと何の気なしに書いたように見える良寛の書ですが、その実一筆一筆が非常に丁寧な運筆です。筆を真上に釣り上げるようにして書いたと言われている良寛。この優しく流麗でありながらも、胆力が潜む書風こそが「良寛流」の醍醐味です。「百花春」とは美しく咲き乱れる春の花のことを指します。厳しい冬を耐え抜き、一斉に咲き誇る花々を賛える気持ちが表されているようです。箱書きは安田靫彦です。本作は十一月十四日から開催される「大筆跡展ー筆跡に観る日本のこころー」にも出品されます。ぜひ実物をご覧においでください。
大愚良寛の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2020.09
絹本 着色 共箱
45×51cm/146×67cm
伊藤小坡は明治10年、伊勢・猿田彦神社の宮司の長女として生まれました。京都で谷口香嶠に師事し、上村松園に次ぐ女流画家として一躍脚光を浴びました。大正6年には貞明皇后の御前で揮毫を行ない、大正11年の日仏交換美術展に出品された「琵琶記」はフランス政府買い上げとなるなど、名実ともに京都を代表する画家の一人です。何気ない生活の一場面を描いた、暖かさのあふれる作品には定評があります。萩を背に、さわやかな着物の女性が微笑んでいる本作。品格がありつつも、温もりに満ちた小坡作品の柔らかな女性美が魅力的な作品です。伊藤小坡の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2020.08
双幅 絹本 共箱
146cm×33cm/187cm×44cm
河口慧海は明治時代の黄檗宗の僧侶で、仏教学者でもあります。仏典を求めて、当時鎖国中だったチベットに入国し、仏典のみならず貴重な資料も持ち帰った人物であるため、その功績から探検家ともされる人物です。筆致は大らかで、太い字には慧海の芯の強さが現れているようです。本作の漢詩のうち、右幅は唐の詩人・許渾の作で、左幅は自作のものとされています。慧海の著作である「チベット旅行記」では、ヒマラヤの大自然に圧倒された様子が記されており、本作の漢詩のように、鶴が舞う光景や、吹き荒れる雪嵐にも遭遇しています。許渾の詩を借り自然の美しさを謳い、さらにそこに自作の詩を付け加えることでその厳しさを表現し、単身で立ち向かったヒマラヤの大自然に畏敬の念を込めて詠んでいます。河口慧海の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2020.06
絹本 着色 共箱
43×52㎝/147×66㎝
この可愛らしい仔猫たちは、虎の名手・大橋翠石により描かれました。翠石は、生まれ故郷の美濃(現・岐阜県大垣市)にいた頃から猫を描くことをひときわ愛しました。本作が描かれた晩年の頃は、特に猫に吉祥的な意味を加えて描くことを常としました。猫の中国語の発音「mao」が、八、九十歳を意味する「耄(ぼう)」と音通することから、長寿を象徴していると考えられています。そして、猫とともに描かれている薔薇は、東洋種が毎月花を咲かせることから「月季花」とも、「長春花」とも呼ばれ、常に盛りの時期であることを意味します。仔猫の愛らしさと植物の美しさを十分に描いた上に、吉祥的な意味をも含む、非常に魅力的な作品です。
大橋翠石の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2020.05
絹本 淡彩 田近竹邨箱書
39×65cm / 140×79cm
本作は天保六(一八三五)年、梅逸四十二歳の時の作品です。本作は、写生を基にしたと思しき構図と、優美に描かれた富士が象徴的な作品です。かつて現在の富士市周辺には大小の沼が点在しており、これらを総称して浮島沼と呼びました。浮島沼側からの眺望であるとすると、手前に見えているのは愛鷹山でしょうか。新霽とは雨上がりのすっきりと晴れた空を指し、晴れ間に神々しく姿を現した富士を描いた優品です。本作は五月六日まで開催中の美術品展示販売会「美祭 撰」に出品中です。
山本梅逸の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2020.04
絹本 着色 共箱 昭和6年「故下村観山遺作展」出品
139×51cm / 223×66cm
本作は大正八年、観山47歳の時の作品です。観山は、人物を描く時に、仏教に関するものなど宗教的な題材を多く取り上げる傾向があり、本作のような美人画は大変珍しいものです。子猫をじゃらすほのぼのとした光景は、穏やかな春の日の平安を感じさせます。繊細な線描は猫や女性の柔らかな感触を、落ち着いた色調は二者の心安らぐ瞬間を表現しています。ありふれた光景を穏やかな春の日の象徴として捉え、それを表す線描と色彩に、線色調和という観山の技法の到達点が窺える作品です。
下村観山の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2020.03
双幅 絹本 淡彩
中野其玉鑑定書 大正十三年十一月東京美術倶楽部第二回武藤山治氏売立目録所蔵
94×35cm / 183×50cm
文化12年(1815)、抱一は私淑する光琳の百年忌に遺墨展を開催し、その成果を「光琳百図」にまとめて出版しました。本作はその百図の中の一つを踏襲したものです。鶏は、琳派らしいたらしこみで軽妙に描かれており、生命感に満ちています。賛者の宮澤雲山は「ここに描かれた鶏の姿はまるで生きているかのよう。」と称賛しています。一方の烏は、琳派特有の水紋で羽が表現され、意匠性が強調されています。菊池五山は「皇帝の庭に栖まず、我が庭でも啼いておくれ、幸をもたらす烏よ」との賛を寄せ、ユーモアでかわいらしい烏を神の使いとして称えている。本作は実業家・武藤山治の旧蔵品で、3月20日から開催する「琳派展-ひきつがれる装飾と簡素の美-」でも展示・販売いたします。
酒井抱一の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2020.02
紙本 水墨 國華一四三〇号所載
94×28cm / 176×34cm
これほどまでに奔放な雛図を描いた画家がいるでしょうか。それは今も昔も、この奇想の画家・曾我蕭白を除いては他にいないでしょう。後ろの男雛は踊っているのか、はたまた倒れているのか。両手を広げる女雛に至っては、着物すら纏いません。添えられた賛には「酔っ払って雛がいくつにも見えるぞ」の意。蕭白の画風によく知られる観る者を圧倒する程の緻密な描き込みや、計算し尽くされた構図設計などとは対極にある本作ですが、酔いに任せて興の赴くままに筆を走らせた蕭白の自由闊達な姿勢が楽しい作品です。津の俳人・二日坊宗雨との交流の様子も窺い知れる興味深い一作です。
曾我蕭白の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2020.01
紙本
88×28㎝/175×41㎝
慈雲飲光は、江戸後期の真言宗の僧侶です。戒律を重視し「真言律」を提唱しました。能書家として知られる一方で、雲伝神道の開祖でもあります。千巻にも及ぶ梵語研究の大著「梵学津梁」を著しました。本作の「阿」という字は、宇宙の根源を表すとされるサンスクリットの最初の文字です。密教では、一切言語の根源であり、衆声の母、衆字の根源(※)であるとされています(※「衆声」「衆字」は、この世の全ての発声、全ての文字の意)。全ての始まりの文字と言うことで、2020年という節目の年の始めに、ぜひ飾っていただきたい一幅です。
慈雲飲光の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2019
2019.12
2019.10
双幅 絹本 着色
96×33㎝ / 175×41㎝
司馬江漢と鏑木梅渓はともに長崎派を習得した画人であり、一時期浜松町界隈に居を構えていました。同じ画人同士、また画風を同じくする者として両者の間には交流があったことは想像に難くありません。本作には水汀に息づく生命が二人の筆で生き生きと描かれています。息をのむような緻密な筆致と鮮烈な彩色は長崎派の特徴ですが、何よりも驚かされるのは、江漢・梅渓の観察眼の鋭さです。軽やかに舞う蝶、息をひそめる蟷螂。その足の一本一本から触覚、翅の細部に至るまで、実物と寸分違わずに写し出されています。大陸からもたらされた最新の画風に衝撃を受け、それを己が物にせんとする熱い意志と、江漢・梅渓の競争心とが、執拗なまでの写実描写には込められています。
2019.09
紙本 谷川徹三箱書
本紙112×23 全体186×35cm
歌意:蔦のような植物が絡みつき、所どころ紅葉している。嬉しいことにその蔦が、細かい棘の侵入を防いでくれている。
田能村竹田著『竹田荘師友画録』にこうある。「玉堂老人の字は古怪絶俗なり」と。浦上玉堂のその特異な書風は一見するだけで玉堂とわかるほどであると言われる。また、書が人を表すならば、その書風は玉堂の強烈な反俗精神を表しているかのようでもある。やや草書体まじりの行書体で揮毫された本作は、文字の一つ一つが個性を放ち、全体として独特のリズム感を湛えている。玉堂は「無一詩中不説琴」と詠った。琴の弦が大気を震わせやがて静寂が戻るその様を書いたようにも見え、その余韻の中に七弦琴の前に坐す玉堂の姿が見え隠れする。
浦上玉堂の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2019.08
六曲半双屏風 紙本 着色
本紙96×301 全体110×316cm
江戸中期(8代将軍吉宗の時代)に始まったとされる「両国の川開き」として開催された花火大会が描かれた作品です。この花火大会は最も古い花火大会として知られ、のちの隅田川花火大会となっていきます。
当時、両国には多くの花火師がおり、江戸っ子たちは夏の風物詩として花火を楽しみました。
現在と異なり、当時の花火は筒状花火で、花火師が船上で筒を持ち、そこから上げていました。この筒状花火などから、江戸中期〜後期の様子が描かれたものと推定することができます。
腕を競い合う花火師と、それを楽しむ江戸っ子たちの姿が詳細に描かれた本作品は、まさに「江戸の夏」を感じることのできる稀有な逸品です。
2019.06
乾漆手彩色 20/20
H34cm×W24cm×D10cm
中世の宗教画がもつ神聖さと、仏画にみられる豊かな精神性を同時に湛えた神秘的な画風で知られる有元利夫。活動期間は10年ほど。独自の作風を確立し、38歳で短い生涯を閉じました。本作は古来より仏像の製作に用いられた乾漆と呼ばれる技法で作られたもの。有元容子夫人は有元の立体作品について「絵画作品より、つくりたい形が素直にストレートにあらわれている」と評しました。自ら手を動かし様々なものを自作することを好んだ有元。木彫は制作の合間の息抜きに楽しんで彫っていたといいます。独自の造形からは、仏像の温かみと、中世の聖人像の気高さを併せ持ちながらも、どこかユーモラスな親しみやすさがにじみ出ています。有元利夫の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2019.04
紙本 着色 山中蘭渓箱書
昭和10年12月15日大阪美術倶楽部某家所蔵品入札目録所載
昭和11年11月28日金澤美術倶楽部江州今井家並某家所蔵品入札目録所載
132×55cm / 207×72cm
日本文人画の祖・池大雅の画に、儒学者・中井履軒による「桃花源記」についての賛が寄せられています。本作は、大雅自身の登山をよくした経験を踏まえて、独自の遠近感と俯瞰的な構図で描かれています。山々は渇筆を重ねた輪郭線で立体感を表し、藍と代赭を施すことで山肌の陰影を付しています。また、満開の桜花は朱の点描により生動感に富み、画面から香るようです。その中を省筆で描かれた川はゆったりと流れ、観る者を桃源郷へと誘います。大雅は詩人・陶淵明による「桃花源記」の場面により、心の中に存在している文人画の本質を表現しているのではないでしょうか。
2019.03
扇面台貼付 紙本 着色
「乾山遺芳」石川県美術館開館十周年記念
「琳派の芸術ー光悦・宗達・光琳・乾山ー名作展」出品
122×66cm
陶工として名高い乾山ですが、絵画においても優れた手腕を発揮しました。強く慕う兄の絵手本を元に、乾山は晩年にかけて自らの画才を開花させていきます。優しい筆致で描かれた墨の濃淡と、花の仄かな桃色が奥ゆかしい本作。桜とは思えないほどに幹が曲がり、大きさも非現実的であるのに、不思議と違和感を感じさせません。軽妙洒脱な光琳とは別の、世俗と一線を画すようなしみじみとした情趣。この素朴な美こそが乾山の到達した画境と言えます。尾形乾山の作家詳細はこちらから→作家詳細へ
2019.02
2018
2018.12
2018.10
2018.09
絹本 淡彩 田能村直入極札
「南画十大家集」・「蕪村全集第六巻」所載
本紙 110×32㎝ 全体 190×50㎝
本作は蕪村が55〜62歳頃の絵画完成期に描かれています。「俗を離れて俗を用ゆ」心持ちで表現した静かな世界は、どこか純朴で、温もりを宿し、観る者の心に沁み入って来るようです。遠山の淡い藍色と樹木の代赭色は季節の移ろいを表します。秋の空気に包まれて談笑する高士たちの一人は、空を眺め、少し離れて待つ侍童は何を話しているのでしょうか。和やかに描かれた人物が微笑ましい、独自の柔らかさと味わい深い持ち味が示された孤高の文人蕪村の象徴的な山水図です。与謝蕪村の詳細はこちらから作家詳細へ
2018.08
絹本 着色 共箱
本紙 115×52㎝ 全体 204×65㎝
曾我蕭白や岸駒に私淑し、奇想の画家として当時の京都画壇に君臨した画家・鈴木松年。豪快な画風と性格から「曾我蕭白の再来」と評され、当時をして「今蕭白」と言わしめました。多くの作品においては、激しく力強い気性を宿す絵筆が、珍しく夜闇の静謐を描いたのが本作です。焼け付くような昼日の暑さがあるからこそ、夜の水辺の蛍の風景の涼やかさが際立つものです。川面を渡る清廉な夜風と、飛び交う蛍の幽玄な光は、日本の美しい夏の姿。今年のような暑い夏には、このような情景が特に恋しいもの。本年は、鈴木松年の生誕170年・没後100年にあたる年です。松年節目の本年に、ぜひ本作を手に入れて、涼しい夏を独り占めしてみてはいかがでしょうか。鈴木松年の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2018.06
紙本 淡彩 松下英麿箱書
板橋区立美術館「林十江」(昭和63年)所蔵
本紙 130×66㎝ 全体 222×85㎝
吹き付ける風に向かい屹立して咆哮する猛虎。筆者は水戸の南画家である林十江。若冲、蕭白、蘆雪といった奇想の画家の系譜に連なる幻の絵師です。十江は立原翠軒に絵の手ほどきを受けましたが、決まった師に就いて伝統的な絵画様式を学ぶのではなく、ただひたすらに独学で業を磨き、独自の表現を追い求めました。その結果が十江にしか描けない動物画です。彼の作品が持つ独特の生気は、天賦の画才を持ちながらも不遇の中37歳で夭折した画家の、強烈な自意識の叫びと言えます。その迫力は、見る者の目を捉えて離しません。林十の詳細はこちらから→ 作家詳細へ
2018.03
絹本 着色
本紙 102×41cm 全体 191×43cm
桜画の名手として名を馳せた三熊花顛は、桜だけを主題に描き続け、後に三熊派と呼ばれる画派を確立しました。三熊派には、三熊露香、広瀬花隠、織田瑟々が名を連ねます。号の花顛は、花狂い、桜狂を意味し、貧しさを苦にもせず、画を描くにあたっては平然と仕事をこなしたといいます。生涯、生花を研究し続けた花顛の筆により紡ぎだされた桜は、その身の裡にやがて散りゆく儚さを内包し、より一層美しく咲き誇ります。うっとりと桜を眺める蛙は花顛自身なのでしょうか。花顛は遺言で、荼毘に付したあと川へ散骨し、桜の木を植えてくれと遺しました。本作は、それほどまで桜に執心した花顛の想いと、研鑽を重ねた技術が結実した一幅です。