今昔美術対談 Art Interview vol.06

今昔美術対談

今昔美術対談
今甦る先賢の遺墨 江戸時代の儒家佛家そして文人達

先人賢者を語る木南先生の目はお優しく時空を超えて慈雲尊者のうしろ姿がうかがえるところまで連れて行ってもらえた、そんなひと時でした。

加島
ご多忙中にかかわらず時間を割いてこちらまでお越し下さいまして、ありがとうございます。早速ですが、先生は近世書画にお詳しいとお聞きしております。それについて今日は何かとお話を頂戴したいのですが、先生が先賢の書に関心を持たれたのはおいくつくらいの時からなのでしょうか。
木南
慈雲尊者の書を手に入れたのは、二十三歳の時です。
もともと私は先賢の学問・思想に関心があり、その勉強をしていた訳で、人物研究が根本ですから、最初は書自体を鑑賞するという事はありませんでした。しかし、人物の偉大さを知るにつれて、その筆蹟にまで興味が湧き実物を見たいという気持ちになって行きました。これは、ごく自然の事なのでしょうね。念願かなって手に入れた書幅を床の間に掛け、書かれた語句・詩文を読み、意味を考えて心の養いとさせてもらって来たわけです。
加島
古くから「書は人なり」と言いますが、書かれたものから筆者の人間性とかがうかがえるものなのでしょうか。
木南
品格を感じますね。そして学問の深さ、その人の温かさや気魄・徳などが書に現れるのでしょうね。そこで大切な事は書いた人がどれだけ立派で、書かれた文言にどれだけの含蓄があるかという事を味わうことなのでしょう。
少し話を進めます。江戸時代の儒者、佛者、国学者そして文人達の筆蹟はその数がかなりの量なので、概要は私のまとめた『先賢遺墨』を見て頂くとして、私が儒教に関心を持ったのは大学生の時で、特に伊藤仁斎の古義学に興味を持ち勉強をしました。伊藤仁斎を研究して行く過程で、仁斎の書というものを見たいと願う様になっていったのです。ところが仁斎はその当時から高名で偉い学者であり、書かれたものも少ないので、そう簡単に見ることは出来ませんでした。
でも願えば通ずのたとえで、その後多少時間はかかりましたが、最晩年の細字の上品な楷書のものをはじめとして、何点かは手に入れることが出来ました。それには京都・大阪近郊に住んでいるという地の利ということもありました。また、大阪の懐徳堂の人達のものとしては、三宅石庵をはじめ中井竹山・履軒の書も沢山拝見しました。京都の春日潜庵や但馬の池田草庵の学問思想を勉強しているなかで、その書にも興味をもち、眼福を得ました。これらの事はまさに地の利によると言えるのでしょう。
加島
いや、それだけでなく先生の情熱があったればこそじゃないでしょうか。やはり儒学に対する造詣の深さが、多くの書作品を呼び寄せたと思います。
木南
師と仰がれる様な人物の筆蹟はその門に学ぶ人々に尊重せられ、次々に受け継がれて行きます。それと一緒に書に寄せられた精神も伝わり、それが書風として順に伝って行って、学派とか宗派の書風が生まれてくるのです。先程お話ししました古義堂や懐徳堂の書風がそうですし、黄檗僧の墨跡なんかも中国風の書ですが、歴代の僧たちに似たところが多く窺えます。
加島
ところで、先生は中江藤樹の思想もよく研究され深く理解されているとお聞きしているのですが。
木南
近江聖人と尊称される中江藤樹の学問とその事跡を勉強して、藤樹先生の精神の高潔なること、人物の立派であることに感銘を受け、大変尊敬しています。
写真ですが、これが藤樹先生の書です。格調の高い書で、文章も含蓄のある内容であり、先生の人間としての魅力が良く出ています。でも遺墨は極めて少なく、私も二、三点しか持っておりません。機会があればお見せしたいと思います。
加島
ありがとうございます。直筆を拝見出来るのを楽しみにしております。私の方からは今日、慈雲尊者の一行と深草の元政上人の御題目をご覧に入れようと用意致しました。
まず、元政上人の「南無妙法蓮華経」については如何ですか。
木南
ウブな掛軸でなかなかいい字ですね。日蓮宗独特の髭題目でなく、元政さんのは普通の書き方でこのほうが馴染みやすいですね。この草山というのは元政さんが住んでおられた京都の南にある深草の地名から出た語であり、不可思議は元政上人の別号です。元政さんは漢詩はもちろん歌もよく詠まれていて、仮名文字もなかなか雅味があるので、佗茶に使われて値段がしっかりと高いものですね。仮名だけでなく、漢字などにも品格が具わったいい書が有りますよ。私は漢字五文字の横物の大幅を珍蔵しています。
加島
元政上人のものも何かの機会に是非拝見させて下さい。次に隣に掛けました慈雲尊者の方はどうでしょうか。
木南
「弥勒大士云水是水」ですか、いいですね。表装にも時代を経た味があって好感がもてます。表装の虫喰いの穴や破損もウブな味わいと受け取れます。そして弥勒の二文字のかすれと続く大士以下の墨たっぷりの書きぶりとの対照も面白いし、立派ですね。尊者はこの言葉を法話の中にもよく使われており、何点か揮毫されています。
加島
どういった意味でございましょう。
木南
諸法実相というか、自然そのままが佛の悟りの世界ということですね、「たゞ山と見よ、水と見よ」とも垂示されています。「莫妄想」の境地でもありましょう。
尊者はいろいろな言葉を書かれていますが、揮毫をお願いする人の気持ちを汲んで語句を選ばれた事もあったと思います。多くの人は「無事是貴人」・「知足者常富」等の判りやすい言葉の方を喜び、表装して床の間に掛けたことでしょう。
尊者は三十代に柳里恭や細井広澤の書に影響を受けられ、五十代半ばには慈雲尊者としての書風を確立されました。そして七十才前後からは独特の風格が一段と現れて来ます。今拝見している一行も七十代の作です。七十以後には神道の研究も深められたのですが、その最晩年の書からは枯淡にして神韻のただようといった趣が感じられますね。
尊者の書では、晩年の名号とか神号をつつしみの気持ちを込めて書かれた楷書風のものが尊いと言う人がいますが、私も同感です。一般的には禅語などを美しいかすれを駆使して筆勢がよく現れているものが尊者の書として親しまれ喜ばれているようです。
楷書というのは書を論ずる上で非常に大切な要素で、書いた人の内面のぐっと秘めた気持ちと姿勢が現れるのです。知人に豪潮律師の書を尊重している人がありますが、その人の案内で或る寺院の紺紙金泥で書かれた阿弥陀経を拝見したことがありますが、その楷書の字は格調高く、身が引き締まる様で、何時も見る豪潮とは格が違いました。
また木庵さんなんかもキチッとしたいい楷書を書かれています。品格の有る楷書が書けてこその行書だと言えるかもしれません。
加島
話が前に戻って申し訳ないのですが、慈雲尊者と柳里恭そして細井広澤の関係をもう少し詳しくお教え下さい。
木南
柳澤淇園、普通には柳里恭、この人は大和郡山藩の家老の家柄ですが、諸芸十八道に通じた文化人で、その書は芸術家としての素質の高さが感じられ筆致にも気品が備わっています。この里恭が若い時に細井広澤に書を学んでいるのです。この細井広澤は曹洞宗の大梅禅師に参禅し、そして大梅禅師は広澤に書を習っておられます。而もこの大梅禅師に慈雲尊者は二十四歳から足掛け三年の間参禅され印可をも受けておられるのです。そして禅師の書について「手跡文章など鍛錬なり」と述べておられますが、これ等のことからみて、里恭と尊者が共に広澤の書の影響を受けておられると推察できます。尊者の書の場合は三十歳台のものですが、実際にこの三人の書を見ても、このことが十分に言えるのです。
尊者と里恭の親交を示す事柄として、尊者が四十一才の時生駒山中に雙龍庵を結ばれたとき、その記念としてでしょう柳里恭が慈雲尊者の雙龍庵巌上坐禅像を描き、それに尊者が自作の歌を賛に書き入れられている立派な肖像画が現存しており、この最初の肖像画を手本に、ずっと尊者の晩年まで数人の手によって尊者の肖像が描き継がれ、その数は五十点にもなり、その肖像画に尊者が種々自賛の詩文を書き入れておられます。これを禅家で描かれる頂相の数と比較すれば随分と多く、特別なことだと思います。
三十代の尊者の書と人間関係について話しましたが、後年尊者風が確立してからの書の魅力の一つに、私は独特の間の取り方があると思っています。文字の配列の間がとても美しいのです。大小どんな空間にでも慈雲の書が合うのは、この活き活きとした間によるものと言えるでしょう。
加島
先生の人物研究が多岐に亘っている事は以前よりお聞きしていましたが、本日改めてその幅の広さに驚いています。まだまだ一杯お話をお伺いしたい事がありますが、紙面の都合上次の機会へ譲ることとさせて頂きます。本日はありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

Profile

加島盛夫
加島盛夫
株式会社加島美術
昭和63年美術品商株式会社加島美術を設立創業。加島美術古書部を併設し、通信販売事業として自社販売目録「をちほ」を発刊。「近代文士の筆跡展」・「幕末の三舟展」などデパート展示会なども多数企画。
木南卓一
木南卓一
大正13年、大阪府生。京都大学中国哲学科卒業。帝塚山大学名誉教授。東洋思想研究家。東洋古典講座や十善法話勉強会を大阪・東京にて開く。慈雲尊者及び江戸期の思想家についての編著書も数多い。

※上記は美術品販売カタログ美祭6(2009年10月)に掲載された対談です。