今昔美術対談 Art Interview vol.17

今昔美術対談
美術談義の玉手箱 PART2

今昔美術対談
前回に引き続き、勅使河原純氏との対談をお届けします。日本の芸術教育への熱い思いや、世田谷美術館時代のエピソードなど、今回も読み応えたっぷりです。

【伝統と芸術教育の今②】

加島
われわれも本当に危機感を覚えていまして。若い人達に画や書といったものを鑑賞する機会がなくなっていくと、何がいいのか、何がどうなのかということを思うことがなくなっていく。そうするとやっぱり先生方に啓蒙活動をお願いしなければと思います。
勅使河原
これはね、わたしも以前よく話していたことなんですが、今、小学生に鶏の足の本数を聞くと、正解できる子供が三割かそれ以下なんですよ。書の時間を減らすと書だけが、美術の時間を減らすと美術だけが影響を受けると思うでしょ。でも実は、この鶏の質問に正解できなくなってゆく要因に、美術教育の問題があると考えています。だから危機感を皆が共有しなければとも思っています。
加島
火が消えかかっているんですから、消える前に。
勅使河原
消えるとね、点けるのたいへんなんです。
加島
たいへんですよねえ。
勅使河原
今はまだあるんですよ、美術の時間が。何とかあるうちに改革しないとだめだと。
加島
先生がそうしてやっていらっしゃる中で、わたくしどもには何もできない悔しさが常にあります。例えばですが、何かの機会に「掛軸持って説明に来い」とか言われたら喜んでやりますよ。
勅使河原
掛軸とか、日本美術のかたちを残すということに関してはどうなんですかね。
加島
今は住環境が掛軸を掛けるような感じではないですからね。教育の末端で美術が消えそうなうえに、掛軸を掛けるようなところすら無くなっていってるわけですからね。
勅使河原
そういう意味で言うとね、現代は、江戸時代までの武家社会の琴棋書画の趣味というか、教養であったようなものについて教えないし、目が利かない。この教養は日本を支えていたと思うのだけれど…。
加島
極端に言えば、今の文部科学省の、文部という学問の世界と科学が一緒になっているような日本という国の制度は、先生のおっしゃる危機に陥っている今の教育状況に影響していると思います。上の政治家たちの文化的教養の低さにあるというか。
勅使河原
そうだと思います。子供たちは物を見つめることが大好きなんですよ。大人たちは子供に骨董趣味なんてあるわけない、なんて決めつけてるわけです。でも試しに子供に骨董を見せてごらんなさい。どれほど集中してどれほどのめり込むか。
加島
ああ、そうですか。
勅使河原
そういうものなんですよ。これは日本人のDNAかもしれないけど。それをわざわざ遠ざけているのは誰なのか。
加島
そうですよねえ、ほんとに。でも俳句なんかは、愛媛なんかでも夏休みの宿題を兼ねて町中で発表されたりしてるわけですけど、そういうことで個々には何か繋いでいこうということは、あるんですよね。
勅使河原
ありますねえ。何か話題が明るい方向に向いてきました(笑)。
加島
そこまで絶えてしまったらどうしようもないわけですから、やっぱり教育の一番の根本のところでねえ。
勅使河原
俳句とか和歌ですとかね、美術ともつながりが深いですからね。山頭火に触発された池田遥邨とか、芭蕉に触発された竹喬さんとか。
加島
ああ、奥の細道。
勅使河原
そうそう。すぐ隣のことなわけですよ。
加島
隣の世界ですねえ。
勅使河原
それで、その芭蕉の俳句というのは、すぐ隣に西行がいて、そして源氏物語があって、だーっとつながっているわけですよね。芭蕉の俳句というのは日本文化の総決算で、裏の裏の裏まで織り込まれているわけじゃないですか。
加島
そうですね。
勅使河原
そこまでたどり着ければ大変幸せなんだけど、気がつきさえすれば繋がるんです。そうすると、ここからここまで線を引っ張って、ここから先はよし、そこから先は不要みたいなことにはならないんですよ。
加島
芭蕉の俳句を一つ思い出しただけでも、一幅の絵が浮かんできますもんねえ。
勅使河原
そう!日本の文学にしても絵画にしても、日本独特の里山の風景の中で育まれているわけでね。

【向井潤吉とセザンヌ】

加島
先生の書かれた論評の中で、向井潤吉とセザンヌのことがありますが、向井潤吉は民家の構造に興味があるんじゃなしに、民家の佇まいと周りの自然の景色に感動して描かれているわけですか。
勅使河原
潤吉さんとセザンヌの話だと、それだけで一日いっちゃいそうな予感がするんですけど(笑)。あのお二方には結構共通点があるんですよね。実際に向井さんが生まれたときには、セザンヌはまだ生きてましたから、セザンヌの足音が向井さんのすぐ耳元で響いてたというのは事実だと思いますよ。向井さんには、セザンヌという絵の具箱を担いで野山を歩いているけったいな画家がフランスにいるらしい、というぐらいの情報だったと思います。それが自分たちが目指すアート、特に西洋美術のトップにいると。そうすると自分たちも真似した方がいいのかと。で、実際に野山を歩いてみると見えてくるというか、何かが作用し始めるということだと思うんですね。
加島
ほお。
勅使河原
野山を歩くことが世界最先端の美術になるという時代ですからねえ。最前線は、探し、作るものなんですよ。自分たちでね。その結果、おそらくセザンヌは野山を歩き回ることが哲学だということにたどり着いたんです。だから向井さんも野山を歩いた。そこには絵描きさんは誰もいないし、画題なんてどこにもないんだけれど、戦後すぐにそれを実践したとは驚異ですね。
加島
しかしそれは、向井潤吉やセザンヌの時代だからこそできたということでしょうかね。人間は自堕落になるから、今はどこか移動するにしたってタクシーとか。
勅使河原
新幹線で(笑)。
加島
飛行機もあるし。結局、文明というものが文化を駆逐しているというか。コンピュータができて、パッと検索したらパッと人名が出てくるような。僕らの時代は人名辞書を捲ってしかできなかったことが一瞬でできるようになって。
勅使河原
全部コンピュータの前で処理されてしまいますよね。話が戻りますが、多分ね、向井さんはそうやって歩き始めたら、戦争によって荒廃して、どんどん消えて行く民家というものが目に飛び込んできたんだと思うんですよね。そのときに、彼の中の何かと消え行く民家がきっとスパークしたんでしょうね。
加島
絵描きさんが何かを描くということは、消え去って行くものに対する郷愁のようなものが描かれているということもあるわけですか。
勅使河原
これは推測に過ぎないのですが、おそらくセザンヌも向井先生も、野山や民家が大事だから描いたわけではないと思うんですよ。民家を求めて歩く自分の中に神がお宿りになると思ったんじゃないですかね。それじゃ自分の中にある神と対話するにはどうしたらいいか。いくら率直に問いかけても答えは返ってこないし、まして他人に聞いてまわっても答えは出ない。自分の中にある神と対話するには、無心に歩き回って、描きつづけることだと。
加島
フウン。
勅使河原
それをセザンヌは、難しい誰も理解できない言葉で語っていて。神と喋るために野山を歩いていて、雷が鳴ろうが、雨に打たれようがひるむな、行け!と突っ込むわけですよ(笑)。
加島
へえ。禅の修行みたいなものですね。
勅使河原
禅ですね。だから禅の僧侶はこの話、分かるかもしれないね。座禅やって、滝に打たれて。これはあくまで推測なんですが(笑)。
加島
何かを求め、何かを描き続けるということで至る境地、神と出会える境地まで行こうとする。行っているということですね。

【世田谷美術館の思い出】

加島
世田谷美術館でわたしが最初に先生にお会いしたときには、山下清を持って行ったんですよ。あれは山下清を取り上げられたのではなく、何かの展覧会の一部だったんですか。
勅使河原
世田谷美術館の場合には、アンリ・ルソーを先頭にして素朴派という一派を集めたわけですね。山下清はその中の作家の一人で。
加島
二点も買ってもらいました。
勅使河原
ええ。あればもっと買いたかった(笑)。山下清の作品は、あまり質の良くない複製品みたいなものを見かけますけど、あんないいオリジナルはないですよね。
加島
あまりないですねえ。あのときに、今度はどんなものを探したらいいですかと、僕は商売人ですから尋ねたんですが、世田谷在住で活躍された人たちの作品いうことでしたので、色々考えていたんですが、他のものを扱っているうちにそれきりになってしまって。
勅使河原
わたしは団塊の世代なんですが、実はわれわれの世代に独特の幸運があるんですよ。どこの美術館でも立ち上がりを、つまり購入をやらせてもらったんですね。多額の購入費を与えられ、多くの作品を購入しました。わたしの場合は、世田谷美術館で一万一千八百点くらい買わせていただきましたね。でもバブルの頃のように美術館がバンバンできて、どんなものでも高い値段に釣り上げて買い漁るというのがいいことだとは思いませんけれどもね。思わないけど、今のように美術館が作品をほとんど収集しなくなっている状況もおかしいんです。日本の大事な財産が日々消えていっている訳ですから。

【最後に】

加島
そうですねえ。では最後に、これからの鑑賞家、美術品を鑑賞する人たちへのアドバイスのようなものをお聞かせいただけませんでしょうか。
勅使河原
「まず物を見る」ことが大事なんですよ。美術というと、すぐ描く側の話になっちゃうんです。でも実はそういうことよりも、大事なのは鑑賞の方なんですよね。いかに優れたものを楽しむかというか、鑑賞能力を養うということ。これがね、大事なんであって。鑑賞をあらゆるレベルで、あらゆる世界で活発化させる。そしてその眼力を上げる。これに最大の価値を求めます。わたしのことで言えば、自分のこれからの人生はそのことに使いたい。ということで、下は幼稚園かもっと下の幼児から、上は九十を超えたくらいの方まで、等しく鑑賞眼を高めようという大きな運動を展開していきたいですね。
加島
今日は長い時間本当にありがとうございました。

Profile

加島盛夫
加島盛夫
株式会社加島美術
昭和63年美術品商株式会社加島美術を設立創業。加島美術古書部を併設し、通信販売事業として自社販売目録「をちほ」を発刊。「近代文士の筆跡展」・「幕末の三舟展」などデパート展示会なども多数企画。
勅使河原純
勅使河原純
1948 年生まれ。岐阜県出身。東北大学美学西洋美術史学科卒業。美術評論家 世田谷美術館元副館長。現在、美術評論家連盟常任委員、(公財)三鷹市芸術文化財団理事、川崎市岡本太郎美術館運営協議会長、日本板画院理事、中央美術学園評議員。2009年4月、美術評論事務所「JT-ART-OFFICE」を設立、独立する。第7回倫雅美術奨 励賞、第22回シェル美術展佳作受賞。

※上記は美術品販売カタログ美祭17(2015年4月)に掲載された対談です。