PUBLICATIONS 鳥博士高橋の鳥舌技巧!

vol.03 のの花に燕
渡邊 省亭 Watanabe Seitei
渡邊 省亭 のの花に燕

十二幅対 絹本 着色 共箱 本紙115×40 ㎝ 全体212×54 ㎝ 〈大正初期〉

vol.03 飛ばないツバメ:のの花に燕

草薮から伸びた一本の杭の頂に、1羽のツバメが佇んでいる。黒い背中は丸く、翼と尾は控えめに閉じている。顔は左を向き、額と喉の臙脂色が小さく覗く。背後には二筋の光が差し込み、降雨が止みつつあるようだ。雨に濡れた羽が重いのだろうか、飛び立つ様子はない。静寂な画面である。

ツバメは世界中(南北極・砂漠・海洋を除く)に広く分布し、人間に最も身近な鳥の1種である。頭と背から尾までの上面は黒光りし、額と喉は暗い赤(臙脂色)に染まる。翼は広く長くて先が尖り、尾は外縁が細長く伸び(燕尾)、広げると中程に白帯がある。この燕尾突起の長さは個体によってまちまちだが、雄の方が明らかに長い(このツバメは少々短めなので雌だろうか)。地理的に分かれた8亜種があり、体の大きさや腹の色がそれぞれ異なる。日本を含む東アジアの亜種やヨーロッパの亜種では腹が白いが、北アメリカの亜種やシベリアの亜種では鮮やかな臙脂色である。

日本でもツバメは身近な鳥であり、多くの絵師や画家によって頻繁に描かれてきた。省亭もよく描いており、『桜に燕』(齋田記念館)や『十二ヶ月花鳥図 六月』(個人蔵)など複数の代表作がある。シラサギ類やスズメと並んで、省亭が最も多く描いた鳥と言っていいだろう。それら省亭のツバメを並べて見てみると、ある共通の特徴に気づく。どうしてか木の枝や杭にとまった姿が多いのだ。飛翔能力は鳥の一番の魅力である。宙をビュンビュン飛び回るツバメであればなおさらだ。そのため当然ながら、多くの絵師や画家が飛翔するツバメを描いてきた。けれども、その描写は不正確なことが多い。長く尖った翼と燕尾からツバメだと辛うじて認識できるが、翼が細長すぎたり体が太すぎたりとバランスが滅茶苦茶だ。「これでは飛べないだろう」と思ってしまう描写も多く、デフォルメだとしても違和感しか得られない。

これはツバメの優れた飛翔能力に理由があるのではなかろうか。シャッタースピードとオートフォーカスに優れた現代のカメラ等がなければ、飛翔する姿形を正確に捉えることは難しい。優れた観察眼や動体視力を持った絵師や画家であっても、飛んでいる姿を正確に写生することは不可能だっただろう。高速で飛翔するツバメの残像を描写しようとするあまり、逆に写実から遠ざかってしまったのではないだろうか。省亭でもツバメが飛翔する姿は捉えられなかったはずで、彼は鳥を良く観察していたからこそ、その困難さを痛感していたのだろう。そのため、とまった姿しか描こうとしなかったのかもしれない。『四季花鳥図 春』(ポーランド・クラクフ国立美術館)には飛ぶツバメを珍しく描いているが、省亭らしい写実性は無い。

ツバメは年中いつも飛んでいるとイメージされがちだが、実物を観察していると、何かにとまっていることが意外と多い。春には杭の先端や電線にとまって囀っていたり、地面に降りて巣材の泥や枯草を拾っていたりする。初夏には巣にとまって卵や雛の世話をし、巣立った幼鳥は電線や草木にとまって親鳥から餌をねだる。晩夏には何百羽もの大群になって暮らし、水辺の葦にとまって休む。この絵はツバメの日常を写実的に描いているとも言えるだろう。

高橋 雅雄

(鳥類学者 理学博士)

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