PUBLICATIONS 鳥博士高橋の鳥舌技巧!

vol.21 群雁図
渡邊 省亭 Watanabe Seitei
渡邊 省亭 群雁図

絹本 着色 143cm×79cm/258cm×98cm

vol.21 写実と空想の間で:群雁図

雁(カリとも読まれるが鳥類学的にはガンと読む)の仲間は、カモやハクチョウと同じカモ目カモ科に属する水鳥である。これらの水鳥は、丸く膨らんだ胴に長い首、平らな嘴に水かきのある足を共通して持ち、互いによく似た体型をしている。違いは主に体の大きさで、一般的に小型種をカモ、中型種をガン、白い大型種をハクチョウと呼び(唯一の黒い大型種はコクチョウと呼ばれる)、この分類は鳥類学的にも正しい。その中でガン類は、カモ類のように多種多彩でも無く、ハクチョウ類のように優美で人懐っこいわけでも無いが、人間を寄せ付けない野性味と気高さから、大変な玄人人気を博している。

北半球のガン類は主にシベリアの広大な湿地帯で繁殖し、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国、東アジア諸国などの温帯域へ渡って越冬する。日本には10種ほどが飛来し、中でもマガン(体長72cm)とヒシクイ(85cm)は飛来数が多く、比較的よく見られる。とは言っても、日本での飛来地はかなり限られる。かつては日本全国で見られたようだが戦後に各地で激減してしまい、今では北海道と東北地方、新潟から島根にかけての日本海側の府県で主に越冬する(その他の地方では少数しか飛来しない)。彼らは9月末頃から渡来し始め、越冬地の大きな湖沼で大群で寝起きし、日中は水田で落穂や草の根などを食べて生活する。2月末頃から徐々に北帰行を開始し、5月には繁殖地のシベリアへ去っていく。

さて本作品では、5羽のマガンが波立つ水面に今まさに降りようとしている瞬間が捉えられている。手前の1羽は着水直前で羽ばたいてブレーキを掛け、他の4羽は追随しながら高度を落としている最中だ。マガンは家族単位で生活していることが多いから、これら5羽は父母と幼鳥3羽の家族群なのかもしれない。着水態勢の際に互いがこんなに接近することは考えられないため、画中の配置のような密集は非現実的ではある。けれども、空から落ちるように降下するガンたち、文字通りの落雁(らくがん)の様子が実に劇的に描かれている。

まずはマガンの描写を詳しく検討してみよう。これら5羽はそれぞれ、体形や各部位のバランスが的確に描かれている。首や翼は長過ぎず短過ぎず、胴はたくましく、尾は太く短い。中でも翼の羽毛の描写は圧巻である。外縁の大きな初列風切羽や次列風切羽は実物と同様に黒く、その1枚1枚を一筆で描ききっている。それなのに、それぞれに違う形や長さが描き分けられており、枚数もおおよそ正しい。その上部には初列雨覆羽と大雨覆羽の並びが見られ、こちらは濃い黒褐色に塗られ、外縁の白点までもが認められる。そのさらに上部には小翼羽と中雨覆羽の並びが見られ、こちらにも外縁の小さな白点がある。その上には淡い黒褐色で小雨覆羽の並びが描かれている。これらの描き分けと色のグラデーションは、まるで博物画や鳥類図鑑のように緻密である。また、マガンの特徴である淡い橙色の嘴と付け根の白帯もしっかりと捉えられており、省亭の観察力と描写力の確かさが伝わる。

ただし、難を言えばいくつかの間違いはある。マガンの尾は外縁に白帯があるが、それは描かれずに黒褐色のみで塗られている。尾と腰の間にある白色部分も初列風切羽や次列風切羽の白い羽軸も描かれていない。また、顔はマガンとしてはのっぺりしていて馬面過ぎる。さらに、このマガンたちには、胸部から腹部にあるはずの黒斑が描かれていない。黒斑はマガンの成鳥が持つ唯一の装飾的要素で、これを省略する芸術的理由は無いだろう。省亭は幼鳥だけを手本としたのかもしれない。

次に背景との関係を見てみよう。このマガンたちは荒れ狂う波間の中にいる。実はこの光景は、自然界では起こらない、鳥類学的には間違った組み合わせである。マガンは泳ぎが得意な水鳥ではあるが、穏やかな湖沼や河川ばかりで暮らしている。同じ水鳥であるカモ類の一部やウ類、カモメ類は荒れた海でも構わずに生活しているが、マガンはそこに姿を現すことはほぼ無い。そのため、マガンを描いた日本画は数多いが、伊藤若冲の『芦雁図』(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)や森徹山の『群鳥図』(熊本県立美術館蔵)のように、ほとんどが穏やかな水辺の風景である。

森徹山《群鳥図》 熊本県立美術館蔵
森徹山《群鳥図》
熊本県立美術館蔵

省亭はおそらく、そんなマガンの生態をよく知っていた上で、意図的にそれを無視したのではないだろうか。マガンと波涛の組み合わせに、彼が求めた芸術性があった。それは空想的な光景であったのだが、彼が繰り出す写実性は、鑑賞者にそうと悟らせない力を持っている。

高橋 雅雄(鳥類学者 理学博士)
1982年青森県八戸市生まれ。立教大学理学研究科修了。
専門は農地や湿性草原に生息する鳥類の行動生態学と保全生態学。
鳥と美術の関係性に注目し、美術館や画廊でのトークイベントに出演している。