PUBLICATIONS 鳥博士高橋の鳥舌技巧!

vol.32 七宝荒磯鶚図額
渡邊 省亭 Watanabe Seitei
渡邊 省亭 七宝荒磯鶚図額

渡辺省亭原画 濤川惣助作/1889年(明治22)
七宝 / 一面 / 個人蔵

vol.32 荒磯にはどんな鳥を描くべきか:七宝荒磯鶚図額

ミサゴ(タカ目ミサゴ科)は魚食性の猛禽類の1種で、世界中の海岸や湖沼・河川に生息している。水面の上空をひらひらと飛び回って魚を探し、水中へ脚から飛び込んで魚を掴み、再び空中へ飛び上がって魚を運んでいく。この狩りの様子はダイナミックで見応えがあり、多くの愛鳥家や写真家を魅了している。また、翼が細く長く、頭頂・胸・腹・翼の下面の大部分は白いため、いい意味で猛禽類らしくない。飛んだ姿を下から見上げると、まるでカモメのように思えてしまう。これらの行動や形態は鳥類の中でも唯一無二で、ミサゴの大きな魅力を形作っている。

けれども意外なことに、私が記憶している限りではあるが、ミサゴを描いた日本絵画はほとんど無い。伝統的な花鳥画にはタカやワシの仲間が多数描かれているが、ミサゴを見かけた覚えは無い。ただし省亭は、本作品と「省亭花鳥図譜 貳之巻 鶚」(大倉書店刊)や「花鳥魚鰕画冊 松に鷹図」(メトロポリタン美術館蔵)でミサゴを明確に描いている。これはかなり例外的なことで、ミサゴは彼の花鳥画を特徴づける種の1つである。

渡邊省亭「花鳥魚鰕画冊 松に鷹図」
「花鳥魚鰕画冊 松に鷹図」

メトロポリタン美術館蔵 

省亭のミサゴは、顔は実物よりもかなり険しい表情で描かれているが、白い頭部・黄色い目・青っぽい脚・縞模様の尾羽などの細部は特に写実的である。中でも私が注目したのは、脚の鱗の表現であった。ミサゴは鋭い爪に加えて荒く尖った鱗を持ち、水中でツルツルした魚をがっちり掴む際に滑り止めとして機能する。省亭のミサゴも脚の鱗が荒く大きく描かれ、特に足指の裏側はゴツゴツと尖っているように見える。省亭はミサゴの習性をよく理解し、鱗の細部の表現にこだわったのではないだろうか。

ただし、描かれた環境との組み合わせは少し非現実的だ。本作品では波打ち間際の岩にミサゴがとまっているが、このような光景は実際にはほとんどありえない。と言うのも、ミサゴは真の水鳥ではないため、水面に長時間浮かんだり、水中に潜って泳いだりすることができない。そのため、彼らは波を直接被らないように、波にさらわれないように高い岩の上や樹の上にとまる。水浴びのために砂浜の水際へ降りることは時々あるが、それも波がほとんどないような場合に限られる。すなわち、波しぶきがかかってしまうような位置にいるミサゴは、彼らの生態としては間違いである。

どうして省亭はこのような場面でミサゴを描いたのだろうか。逆に言えば、他の画家はミサゴを描かずに何を描いたのだろうか。無謀な問いではあるけれど、可能な限り考えてみたい。

もともと海・波・磯は日本画の主要な画題の1つである。その画面の中には鳥が頻繁に描かれているが、一般的に登場するのはウ類・チドリ類・カモメ類であった。特にウ類(ウミウやカワウなど)は多くの日本絵画に描かれ、各時代の代表例だけでも、宮本武蔵の「鵜図」(永青文庫蔵)、熊斐の「浪に鵜図」(東京国立博物館蔵)、川端龍子の「鳴門」(山種美術館蔵)、大野重幸の「鵜」(宮崎県立美術館蔵)などを挙げることができる。ウは潜水が得意な真の水鳥であり、波を直接被っても平気なため、波打ち間際の岩の上で休む姿をよく見かける。先に挙げた絵画では、ウは波打ち間際の岩の上に描かれており、これは鳥類学的に正しい。

けれども、これも私の知る限りであるが、省亭はウを全く描いていない。そもそも省亭は海・波・磯をあまり描いていないのだが、それらを珍しく描いた本作品で、多くの画家ならばウを選ぶところを、省亭は敢えてミサゴを選んでいる。省亭にとって、生態的に少々間違いであっても、ミサゴはウの代用だったのだろうと私は考えている。

では、省亭はどうしてウを描かなかったのだろうか。その理由の1つは、ウの色彩の乏しさだと思う。ウは、顔周辺は白っぽく、口元は黄色で、目は鮮やかな緑色である。しかし、その他の全身はほとんど黒で(よく見ると青や緑がかっているが)、モノクロの墨絵には適しているが多色画には全く向いていない。もう1つは、ウの不人気さではないだろうか。一般的に、ウは人気がある鳥とはあまり言えない。ましてや愛鳥家であればあるほど、ウの人気は下がる傾向にあると思う(ただしウを熱狂的に愛する方々も少数いる)。省亭が自身の作品リストにウを加えなかったのは、彼の愛鳥家としての嗜好性があったからではないだろうか。因みに私も省亭同様、ウはそんなに好きではない。

高橋 雅雄(鳥類学者 理学博士)
1982年青森県八戸市生まれ。立教大学理学研究科修了。
専門は農地や湿性草原に生息する鳥類の行動生態学と保全生態学。
鳥と美術の関係性に注目し、美術館や画廊でのトークイベントに出演している。


今回のコラムでご紹介した《七宝荒磯鶚図額》は佐野美術館に出展!

渡辺省亭ー欧米を魅了した花鳥画ー
https://seitei2021.jp/

2021年3月27日(木)~5月23日(日) *会期終了しました。
於:東京藝術大学大学美術館
https://www.geidai.ac.jp/museum/
〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8
03-5777-8600(ハローダイヤル)

2021年5月29日(土)~7月11日(日) *会期終了しました。
於:岡崎市美術博物館
https://www.city.okazaki.lg.jp/museum/index.html
〒444-0002 愛知県岡崎市高隆寺町字峠1番地
0564-28-5000

2021年7月17日(土)~8月29日(日) *会期終了しました。
於:佐野美術館
https://www.sanobi.or.jp/
〒411-0838 静岡県三島市中田町1-43
055-975-7278

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