PUBLICATIONS 鳥博士高橋の鳥舌技巧!

vol.35 鴨鶏雙幅
渡邊 省亭 Watanabe Seitei
渡邊 省亭 鴨鶏雙幅

絹本 着色 共箱
126×49㎝/221×65㎝

vol.35 出会いの感動:鴨鶏双幅

カモの仲間は世界に130種程度が存在し、淡水ガモ類と海ガモ(潜水ガモ)類に大別される。名前の通りに前者は河川や湖沼など淡水域に、後者は河口・汽水湖や海岸・漁港・沖合など汽水域・海水域に主に生息するが、実際は必ずしもそうではなく、特に後者には淡水域で多く見られる種類もいる。また、前者は水面に浮かぶ体で主に水面や水中の植物質(落穂・水草・藻類など)を食べ、後者は潜水できる体で主に水中の貝類や小動物など動物質を食べる。特にアイサ類と呼ばれる海ガモの数種は細長い嘴と紡錘形の体を持ち、素早く泳ぐ小魚を水中で簡単に捕らえることができる。カモはどの種も似たような姿形で皆同じような暮らしをしていると思われがちだが、種毎に様々な生き方をしている。

伝統的な日本絵画で描かれるカモはほとんどが淡水ガモ類で、オシドリは別格として、マガモやコガモは頻繁に、オナガガモやヒドリガモは時々、ヨシガモやハシビロガモは稀に見られる。ただし、今最も身近で数多いカルガモは、どうしてか日本絵画ではほとんど見かけない。もしかしたら、こんなに身近でたくさん見られるようになったのは近年のことなのかもしれない。一方で海ガモ類はかなり稀で、私が確認した作品は今のところ数点だけだ。例えば「雪松群禽図屏風」(尾形光琳筆 岡田美術館蔵)にはホオジロガモが、「芙蓉に群鴨図」(沖一峨筆 鳥取県立博物館蔵)にはホシハジロとミコアイサが描かれており、これらを見つけた際にはかなり興奮してしまった。

省亭ももちろんカモを描いているが、花鳥画家としては意外と作品数が少ない。私の知る限り、オシドリ・マガモ・コガモは複数の作品があるが、他の淡水ガモ類はほとんど見当たらず、海ガモ類は全く無いと断言していいだろう。その中で今回取り上げる本作品は、4種類目の淡水ガモを描いた貴重なものである。ここには3羽のカモが描かれていて、右下の2羽はマガモの雌雄だ。注目すべきは左上の1羽、これは雄のトモエガモである。

トモエガモは東アジアのみに生息する小型のカモで、日本には主に日本海側の湖沼に冬鳥として飛来する。他のカモの群れの中に単独または数羽混じる程度が多いが、群れで飛来することも稀にある。かつては多数が飛来していたそうだが、今ではかなり珍しくなってしまって、環境省のレッドリストに絶滅危惧Ⅱ類として掲載されている。羽色の美しさ、特に名前の由来にもなった巴模様の顔は画家の創作意欲をかなり刺激したようで、前述の「芙蓉に群鴨図」の他、円山応挙の「寒菊水禽図」(京都国立博物館蔵)や「遊鯉水禽図」(松岡美術館蔵)、今尾景年の「芦水禽図」(滋賀県立近代美術館蔵)など、トモエガモを描いた作品は多々ある。花鳥画の題材として避けては通れなかったカモだったのだろう。

省亭のトモエガモは、その正確な細密描写がとにかく素晴らしい。顔の巴模様は2つの黄色部分と1つの緑色部分が巡り、茶色の頭頂部も含めて羽毛の流れが微細な黒線で表現されている。巴模様の各境界部は細い白線で区切られていて、この線は実物のトモエガモにもはっきりと見られる。目は褐色のアイリングの中に茶褐色の光彩があり、黒い瞳孔にはハイライトが入っている。これら目の描写だけでもなんて細かいのだろうか! 背から胸にかけては褐色のグラデーションが滑らかで、胸部には黒い小斑がある。この疎らな感じも実物の雰囲気をよく再現している。翼にはオレンジ色の雨覆羽と緑色の翼鏡(次列風切羽の輝く部位)がはっきりと描かれ、翼鏡の輝きを表現するためだろうか、その一部は青く色付けされている。他の翼の羽毛描写も実に正確だが、それらを鑑みると雨覆と翼鏡の位置が前方にかなり寄ってしまったようだ。背からはもう一つの特徴である3色の肩羽が細長く伸び、3枚が特に長い。この枚数も実物に忠実である。翼の下方の脇羽は灰色がかっているが、一部は茶色の縞模様がある。これはエクリプス(コラム第23回を参照)の羽毛が残っていることを意味しており、カモ類が初冬にエクリプスから生殖羽へ生え替わる生態を正しく捉えている。尾は褐色で短く、臀部は黒いはずだが本作品ではさらに青く塗られている。羽毛の艶を表現なのかもしれない。

省亭が描いた鳥はいつも正確であるけれど、このトモエガモほど実物に迫ったものはあまり類が無い。これほどまで省亭は本作品に気合を込めたのだろうし、このトモエガモに特別な思いがあったのではないだろうか。ひょっとしたら、実物のトモエガモに野外で出会った感動が、本作品の写実性を限界まで引き上げたのかもしれない。美しいトモエガモに出会うことは、今も昔も特別な思い出になるはずだ。

高橋 雅雄(鳥類学者 理学博士)
1982年青森県八戸市生まれ。立教大学理学研究科修了。
専門は農地や湿性草原に生息する鳥類の行動生態学と保全生態学。
鳥と美術の関係性に注目し、美術館や画廊でのトークイベントに出演している。

ESSAY SERIES: SEITEI’S BIRDS 鳥博士高橋の鳥舌技巧!